中国現地法人の財務調査

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はじめての中国 その2

2016.04.30
再生日誌

中国でHow do you do? にあたる言葉は、飯食ったか?(吃饭了吗?)だそうである。中国で20年以上ビジネスをしている電子部品メーカーの社長が教えてくれた。食ってないと答えても、食わしてくれたことはないけどね、と笑っていた。

 

この挨拶でもわかるように、中国では飯を食うことがとても重要だ。中国でビジネスをした経験のある人なら直ぐ納得してもらえると思うが、中国ではどんな重要な仕事をしていようと、どんなシビアな交渉をしていようと、飯の時間になると中断され、飯に行こう、となる。中国の挨拶を教えてくれた社長は、中国人は昔から食うや食わずの奴が多かったから、そうなったんだろう、と言っていたが、なぜか、日本のビジネスマンも中国に来ると飯第一優先主義に直ぐ順応してしまうのだ。

 

初めての中国出張でも、仕事の合間に飯を食っているのか、飯の合間に仕事をしているのかわからない状態だった。ホテルの朝飯は中華風バイキング、12時かっきりには、Y社長、S常務、通訳、その他誰だかよく分からない人と大勢で中華料理を食い、5時半くらいには何となく終了モードとなって、昼飯の時よりもさらに大人数でバドワイザーガールのいる寧波一の中華料理屋(Y社長によれば)にぞろぞろと出かけた。寧波料理と言えば魚介が有名であるが、その料理屋では入口を入ると食材の入った水槽が所狭しと並び、客は好きな食材を水槽を見ながら注文するスタイルだった。水槽の置かれている部屋の真ん中にプールがあり、アシカが泳いでいるのには度肝を抜かれた。あれも注文できるのか、と通訳に聞くと、もちろんですよ、と当然のように答えた。直ぐに冗談です、あれは注文できません、と言ったが、本当に冗談なのか、私が嫌そうな顔をしていたから言い直したのか、今となっては確かめる術もない。Y社長は、私に何でも好きなものを注文していいですよ、と太っ腹な感じで言った。そのあまりの太っ腹な感じに、その支払をするであろう現地法人に我が社が70%を出資していることも(当初現地資本が持っていた10%は既に我が社が買取っていた)、我が社が5千万円以上の貸付けをしていることも、設立以来赤字続きであることも、全て私の妄想なのではないかと自分自身を疑った。

 

飯の合間は現地法人の中だけでなく、王様が外国からの客に領土を見せびらかすかのように、あっちの協力工場、こっちの協力工場と引っ張り回された。我が社の現地法人は、通常の外資企業がある工業団地ではなく、寧波でもかなり僻地に位置していた。周囲は広大な藺草の田圃や延々と続く菜の花畑の中に粗末な農家がポツポツとあるばかりで、所々、汚いため池の泥水に信じられない数の家鴨が群れていたりした。まるで、パールバックの「大地」の世界である。工場の裏には汚いクリークが流れており、雨が降ると一帯は水浸しになった。S常務によると、中国進出の際世話になった省の偉い役人の特別の取り計らいで、本来外資企業が進出できない藺草の仕入に便利な地区に設立できたのだそうだ(後に、この役人は汚職で逮捕され、外資企業に紹介した建築会社から莫大なリベートを取っていたことが判明した。建築費の大半が役人の懐に入っていたのだから、現地法人の建物が新築の割にオンボロに見えたわけである。特別の取り計らいで用意された土地とやらも、おそらく誰も欲しがらない余った土地だったに違いない)。

 

現在ではかつての我が社の現地法法人の周囲にも立派な道ができ、マンションが建設されているらしいが、当時、協力工場へ行く道は、舗装もしていないデコボコ道か、舗装はしてあるが舗装していないのと変わらないデコボコ道しかなかった。協力工場、協力工場と我が社やS社の人々は呼んでいたが、大半は目端の利く農民が中古の機械を買って見よう見まねで始めた作業場に過ぎず、染土(藺草をコーティングする泥)の粉じんが濛々と立ち込める中では、寧波の僻地よりさらに貧しい地域から集められた若者達が忙しく働いていた。何となく、昔見たああ野麦峠の映画を思い出した。

 

協力工場めぐり自体はいい経験だったのであるが、周りには何人も人がいるので、とてもS社の決算の内容について質問できる雰囲気ではない。勿論、それが狙いで、S常務とY社長の間で入念にスケジュールを組んでいたのであろう。寧波に3泊した後、私は一人で上海に行って1泊し、メインバンクの上海支店を訪問して帰国する予定だったので、3日目の夕食の時は些か焦っていた。本場の中華料理は物珍しく中々美味しかったが(ただし、上海のホテルで1人でいる時、脂汗が出る程猛烈な腹痛に襲われた)、毎回では飽きてくるし、Y社長の独演会と出席者の追従を聞いているのもそろそろ苦痛である。夕食が終わると、私はY社長にホテルで打合せをしたいと申し入れた。Y社長は夜はこれからなのに、何を無粋な、と言わんばかりに不機嫌な顔をしたが、結局、S常務も入れて3人で打合せを行うことになった。

 

決算書になぜ我が社からの借入金が計上していないのか?と聞いた時のY社長の反応は実に劇的だった。まるでそれが魔法の呪文であったかのように、それまでのY社長の王様のような態度は影をひそめ、急におどおどしはじめた。開き直られると思っていたので、拍子抜けである。Y社長は、自分は数字に疎いので、何もわからない、会計事務所に聞いてくれ、と言うばかりだった。これでは、わざわざ中国に来た意味がない。しかし、その様子を見ればY社長が真実を知っていて、疾しい思いをしているのは明らかだ。S常務を見ると何ともばつの悪そうな顔をしている。結局、その夜は日本に帰ったら直ぐに会計事務所とのミーティングを設定することを約束させただけで終わった。

 

次の日、Y社長は私を引っ張り回すのを完全に止め、私はようやく第二の目的である中国現地法人の財務調査を行うことができた。最初にきちんと財務調査を行っておくことが、企業再生の基本である。意外なことに、現地法人は非常に良く管理されていた。会計担当のSさんは非常に優秀な女性で、全ての取引が明朗に記帳されていた。在庫もきちんと管理されており、担当のRさんに今日の在庫の正確な数を報告させると、その場で何人かの従業員を指揮して実地棚卸を行い、工場中の在庫を直ぐに数えてしまった。帳簿との差異はほとんどない。日本の我が社の在庫管理の状況と比べてもえらい違いである。日本では、在庫の状況をリアルタイムで残らず把握するには程遠い状態だった。我が社の社員にしろ、S社の社員にしろ、中国人は馬鹿だ、いい加減だ、怠け者だ、と散々な言いようだったが、よく考えてみると、Sさんにしろ、Rさんにしろ、中国では外資企業で働くエリートなのだ。日本の中小企業の従業員よりも優秀なのは当り前である。Rさんは、日本語も堪能なうえに非常に温厚な人柄だったので、日本人社員は気安くRさんを低俗なからかいの対象にしていた。Rさんはからかわれてもいつもニコニコ笑っていたが、内心日本人社員のことを軽蔑していたに違いない。後に、Rさんは他のもっと大きな外資企業に転職して行った。

 

財務調査の結果、現地法人の財務状況は意外に良好であり、損益もY社長個人やS社関係の支出を削減すれば、黒字化することができそうだった。

 

中国に来た本来の目的であるS社の決算内容の確認は果たせなかったが、中国現地法人の状況を確認できたことは大きな成果だった。

 

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