初めに
2014.08.16
再生日誌
私はインテリア製品の卸売を行う商家に生まれた。創業は大正なので、老舗といえば老舗だが、筵を商う個人商店を畳、壁紙、カーペット、カーテンなどインテリア製品全般を扱う商社に成長させたのは戦後、祖父が実質的に経営を行うようになってからである。バブル期には不動産にも積極的に手をだし、最盛期には80億円を超えるグループ売上高を誇るまでになっていた。老舗というようよりは、なんとなく垢抜けない成金的な雰囲気が漂っていたように思う
高度成長期からバブル期にかけて急成長した企業にありがちなことであるが、私の実家の会社も様々な投資の失敗により多額の借入金を背負うことになった。バブル崩壊当初は、そのうち景気が回復して何とかなる、と会社も銀行も思っていたのだろうが、ご存じのようにそれ以来本格的に日本経済が立ち直ることはなく、私の会社も次第に経営が思わしくなくなっていった。公認会計士の資格を取り、大手の会計事務所に勤めはじめたころは、実家の仕事をするなど考えてもいなかったし、正直あまり関心もなかった。あまり良くはないようだが、私の人生と関係なく今までどおり普通にやっていけるのだろうと漠然と思っていたのだ。しかし、実家の会社のバランスシートを興味本位で初めて見た時、そのあまりの酷さに驚愕した。まださほど経験豊かとは言えない年齢だったのだから、実家のことは無関係を決め込んで、会計業界で頑張っていくのが正しい選択だったと思う。もしタイムマシンがあって当時の自分に会うことができたら、懇々と諭してやるのだが、当時の自分は何をトチ狂ったか実家の仕事を手伝う決断をした。中小企業の財務改善など会計士の自分には簡単にできると思ってしまったのだ。人生経験の少ない若者にありがちな傲慢で浅はかな考えだった。そして、案の定簡単になど何ともならず、5年以上続く泥沼のような撤退戦の渦中に自ら飛び込むことになってしまった。
あの時の経験は、できれば人生で一度も経験しないで済めばそれに越したことのない類のものばかりであるが、私の今の仕事の原体験を構成していると言える。会計士は世の中に沢山いるし、中小企業経営者も沢山いるが、その両方を経験したことのある人はあまりいないはずである。今まではあまりに生々しすぎて文字で残す気もしなかったのだが、10年経って私の経験が再生の渦中で苦しむ経営者の何がしかの参考になればと思い、ブログで経験談を綴っていくことにした。また、本ブログでは会計事務所を開業した以降の事例について、差支えの無い範囲で紹介していきたいと思っている。
2014.08.16