はじめての差し押さえ2
2014.10.22
再生日誌
前回からの続き
彼らは企業に対する貸付金を持っていて返済を督促してくるが、そこは銀行ではない。彼らが企業に対して直接貸付を行うことはなく、彼らが持つ貸付金は全て余所の金融機関から買ってきたものだ。彼らは全国各地に支店を持っており、支店の場所は地図には載っているが、行ってみると入っているはずのビルに看板はない。入口は常時施錠されており、インターホン越しに名前と来意を告げるとようやく開錠され中に入れる。受付などという洒落たものはない。そして、会議室の真っ白な壁に窓はない。ついでに言うとお茶もでない。債務者からお茶をかけられるのを防ぐため、との説もあるが、単に債務者をお客と思っていないのだろう。私は今までいくつかの支店に何度か行ったが、いつもお茶が出ないので、何度目からかペットボトルのお茶を買って行くことにした。大抵の場合、ひどく喉の渇くやり取りをすることになるからだ。住専の破綻処理から始まる金融危機の中で、多くの金融機関が破綻してきたが、その際の不良債権処理で大きな役割を果たした某国営債債権回収会社、R機構が父の預金を差し押さえた先だった。
このころ、会社の資金繰りは相当厳しく、既に父はほぼ全財産を会社の資金繰りに投じていたので、差押えられた預金は父に残された唯一のまとまった金額のある口座だった。父は会社経営者にしては欲がなく、個人的な蓄財などほとんど全く興味のない人であるが、それでもいきなり自分の全財産がたった5文字のカタカナの印字で0になってしまったのはショックだったようだ。茫然とするのも無理もない。なにしろ差押えを受ける身に覚えが全くないのだ。
やがて裁判所から通知が届き、ようやく事態がだいたい分かってきた。10年近く前、父が代表取締役を務めていた会社が外の会社に吸収合併されたことがあった。あまり大きな会社ではなく、不動産とほぼそれに見合う借入金があるだけで、純資産はほぼ0だったため、借入金付で不動産を売却する感覚で会社を合併させたのだ。合併と同時に父は取締役も代表取締役も退き、合併した際にもらった株も持っていることを忘れるほどの数だった。父からすると、完全に終わった話で、現在、その会社がどうなっているのかも、合併した時の借入金がまだ返済されていないことも知らなかった。その借入金が期限の利益を喪失し、R機構に譲渡され、連帯保証人である父の資産が差押えられたということらしい。どうも、合併の際はこんなことになるとは思わず、保証の解除手続きをしなかったようだ。期限の利益の喪失通知とか、催告書とかが来てなったか、しつこく確認したが、もらった覚えはない、とのことだった。
父の個人的な問題はさておいて、問題は会社のほうだ。私は事情をメインバンクに説明し、解決には時間がかかりそうだが、会社にリスクが及ぶような話ではないので、何とか融資を実行してくれ、と頼んだ。しかし、メインバンクの担当者と上席は、決まりなのでそれはできない、R機構に何とか仮差押えを解除してもらえ、方法?そんなの、自分で考えろ、そうでなければ全額貸付金を回収することになる、と壊れたレコードのように繰返すばかりで、いつものことであるが、有用なアドバイスも、前向きな提案も何もしてくれることはなかった。
つづく
2014.10.22